この二日、深圳では雨がひどく急に降りだす。雨が来るとき、風もまた傲然と荒れ狂う。広大な蒼穹の下で、この雲、黒々と押し寄せる雲は、まるで数枚のぼろ布が、天の外から山をも倒し海を覆すような進撃を食い止めようとしているかのようだ。千軍万馬が奔騰してきて、大地の生きものたちを踏みにじる。あの風は、とっくに形勢を見極め、雨の麾下に身を投じ、懸命に声を張り上げている。瞬く間に、天地はすでに混沌へと変わり、もはや何が雲で何が雨かも見分けられない。雲はとうに寝返り、大地へ向かって狂ったように攻撃を仕掛けている。ただ雷だけが、天上から地底まで、ざわざわと時空を引き裂く。空はすでに無残に破れ、今にも崩れ落ちそうだ。なんと傲慢な雨だろう。自分の勝利を疑わぬ雨は、何のためらいもなく踏みにじり、天地のあいだのすべてを破壊し尽くそうとしている。けれど、それは思いもよらなかった。雲の背後に身を潜めていた太陽が機をうかがって現れ、幾千万もの光で編み上げた果てしない長い帯で雨を荒々しく巻き取り、遠くへ投げ飛ばすことを。幾千万もの光を一本の長矛へと束ね、雲を粉々に打ち砕くことを。ああ、あの雷は、怯えて一声も発せず、風は木の後ろに隠れて震えている。私は顔を上げて彼を見つめ、その果てしない力が山河にまとわり、大地に溶け、天地のあいだに満ちわたっているのを見た。彼がずっと自らの誓いを守り、その庇護を貫き、一度も離れず、いつもそこにいて、打ち負かされることがないのだと知った!
最近、たくさん本を買った。タゴールのものもあれば、ジブランのものもある。学校の夏休み実践活動にも応募していて、STEM の巡回実演をするつもりだ。自分がこの活動を率いなければならないのだが、これまでほとんど活動を率いたことのない自分にとっては、なかなか難しい。権限を委ねるのも得意ではないし、仕事を割り振るのも得意ではない。けれど、どんな能力も練習であり、やりながら学べば、まったく身につけられないものでもない。
昨夜、ジブランの『預言者』を読んだ。その中で自由について語られていて、自由を追い求めること自体が、人を縛る枷になってしまうのだという。あらゆる絆の中で、気にしないでいること。行けるなら行き、行けないなら私はここに留まり、私の根を生やし、私の葉を伸ばし、私の物語を記す。苦しみは知識の衣であり、その知識はあなたに孵されるのを待ち、殻を破って出てくる。人が生きていると、あらゆる窮境も、あらゆる快さも、来ては去っていく。渡ることも大切で、彼岸もまた大切だ。私は渡りに沿って彼岸へ向かい、水はただ自分のままに流れていく。私は彼岸を思い、真剣に渡り、歩いては立ち止まる。
