清華「樹学風」読書チェックイン第六日―『私はどのように試験を受けたか』

読書チェックイン第六日:『外国散文精品鑑賞』読書ノート

マーク・アンダーソン・ニクソの幼年時代の回想『私はどのように試験を受けたか』は、彼が教義問答の試験を受けたときの昔話を語っている。幼いころの作者は、無邪気でのびやかで、好奇心に満ちていた。「私は目新しいものを見ると、たとえそれがただの気晴らしのためであっても、すぐに学んだ。」その天真爛漫さの中には、また一種の独立不羈もあった。作者は、まじめなことをしようとすると途端に力が湧かなくなる、と述べている。そしてそれこそが、彼が多くの進歩を得る出発点になったようにも見える。

続いて作者は、教会と人間性の偽善を批判する。しかし作者は、その汚れた暗闇の中にいても、どこか意に介さないようで、なおも自分の流儀を貫き、神父の問いに率直に答える。作中では、神父が作者に四肢とは何かを尋ねる。作者が定義を言えずにいると、神父は、動くものが四肢だと示唆する。すると作者は、耳も四肢だと答える。なぜか。牛が耳を動かして蚊を追い払うのを見た経験から、作者は自分の耳を動かすことを覚えていたからである。

人間性の偽善は、ここで余すところなく示されている。皆は「私」をラテン語学校へ送り、さらに神学校へ進ませ、それから神父にしようと提案する。ところが実際に金を出す段になると、その話はうやむやになってしまう。牛飼いの少年はやはり家畜とともにあり、以前と同じように青空の下で暮らす。作者は、牛飼いの少年にとって、すべては本当に困難に満ちていると言う。人々は彼を学校へ行かせず、それでいて愚かだと責め、人前で恥をかかせようとし、堅信礼を受けることさえ許さない。しかしこの不平等の中で、作者は打ちのめされるどころか、かえって大自然から滋養を汲み取り、その素朴さを文章に用いて、質朴で美しい絵巻を一幅また一幅と描き出していく。

この記事は https://blog.lazying.art/html/1778.htm に掲載されました

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