読書チェックイン+七日目+『外国散文精品鑑賞』+読書ノート
クリスティーナ・ブリュックナーの『どうか私がゲーテの人生の、より豊かな半身でありますように』は、ゲーテの恋人クリスティアーネの内なる独白を想像したものだ。この散文は、正直なところ最初はよくわからなかった。まるで一人の女性がうわごとを言っているようだった。最近読んだある研究では、現代人の言葉はますます平板になり、複雑な表現がますます不得手になっているという。それで、このごろ読書ノートを書いている自分のことを思った。全部が全部とは言わないが、ときには字数を埋めているだけのようなところもある。自分がだんだん書くことに不器用になり、豊かで多様なやり方で自分の考えや感情を表すことが苦手になっているのに気づく。一方でブリュックナーは、自らの想像力によって、歴史のなかで声を失わされた女たちの伝記を書き、彼女たちの似ていながら異なる、心の奥の抑圧と無力な叫びを世に向けて語らせている。
この散文は少し語りにくい。一つには文章が比較的長く、二つには人物関係が複雑で、三つには特定の主題が一つに絞られていないからだ。やはり自分で一度読んでみるのがいちばんよい。作者のきわめて想像力に富んだ内面描写を味わうこともできるし、行間ににじむ諧謔的な言葉も感じ取れる。ゲーテが最初に追い求めたのはシャルロッテだったが、高嶺の花のようなシャルロッテはゲーテをひどく苦しめた。ゲーテはイタリアへ遠遊し、ドイツへ戻ったあと、花作りの娘クリスティアーネと結ばれる。その間、シャルロッテはクリスティアーネを中傷したことがあったのかもしれない。本作が描いているのはまさに、さまざまな流言に対するクリスティアーネの告発であり、自分とゲーテとの愛への弁護である。もっとも、彼ら本人にとっては、自分たちの愛を弁護したいとも、弁護する必要があるとも思わなかったのかもしれない。
中でいちばん面白い一文はこれだ。「ある人々がそうであるように、袂を分かったあとになって初めて、あるものがもともと持っていた価値を知る。このことを私は庭から学んだ。種を蒔かなければ、苗は生えないのだ。」また、シャルロッテがクリスティアーネの早世した息子について、それは神の意志だと言ったことにも触れている。続いてクリスティアーネは訴える。もしあなた自身の息子が死産だったなら、それもまた神の測り知れない意志というわけね、と。だから、生活は時間とともに前へ進む。今この瞬間の一つひとつに、堂々と向き合えばよい。不幸は不幸であり、ひとつひとつの喜びを味わいながら、善意を心に抱いていればよい。
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